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【北口榛花】これまでの歩みと実績を徹底解説!意外なルーツが原点だった!

スポーツ

今回は、陸上競技のやり投げで活躍する北口榛花選手の高校時代を追ってみました。女子やり投げで金メダルを獲得した北口榛花が、やり投げ競技に初めて挑んだのは2013年5月5日の道北記録会。旭川東高校1年生の北口は、34m13の記録で2位に入りました。

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北口榛花プロフィール

名前:北口 榛花(きたぐち はるか)

生年月日:1998年3月16日 現在26歳

出身地:北海道旭川市

身長:197cm

体重:85kg

所属:JAL(日本航空)

血液型:A型

趣味:朝ドラ、寝ること、Kpop 、食べること

北口榛花実績の概要

– 2015年、世界ユース大会で優勝
– 2019年、日本国内選手権で優勝し、世界選手権ドーハ大会に出場
– 2021年、日本選手権で再び優勝し、東京オリンピックの決勝に進出
– 2022年、ダイヤモンドリーグで優勝、ファイナルでは3位を獲得
– 同年、世界選手権オレゴン大会で3位入賞
– 2023年、ブダペストでの世界選手権で優勝、さらにダイヤモンドリーグ・ファイナルでも1位
– 2024年、日本選手権優勝、パリオリンピックで金メダル獲得、ダイヤモンドリーグ・ファイナルでも優勝

※67m38の日本記録保持者

初めてのやり投で34m13、その後1ヶ月でプラス10mに

女子やり投げで金メダルを獲得した北口榛花が、やり投げ競技に初めて挑んだのは2013年5月5日の道北記録会。旭川東高校1年生の北口は、34m13の記録で2位に入りました。この記録は当時の日本高校ランキングでは486位相当で、特別目立った成績ではありませんでしたが、数年後、彼女は日本記録を更新し、世界トップレベルの選手となりました。

やり投げは中学では実施されない競技のため、北口のように他競技から転向する選手も少なくありません。中学時代の北口は陸上競技をしておらず、高校1年では水泳と掛け持ちしていました。その後、1ヶ月後のインターハイ北海道予選で45m25を投げ優勝を果たし、才能の片鱗を見せます。

当時、旭川東高の陸上部顧問であった松橋昌巳氏は、北口を指導した日々を鮮明に覚えています。「当初は砲丸投げや円盤投げもしていましたが、全国大会にはやり投げでしか出場できなかったため、自然とやり投げがメインになりました」と話します。彼は、北口が投てきに適性があることを早くから感じていたといいます。

松橋氏は「選手が成長するとどうなるかが見える時があります」と振り返り、「北口が高校を卒業する頃には、世界大会でのメダルも夢ではないと感じましたし、やり投げを始めた頃には高校日本一にもなるだろうと思いました」と述べています。

また、松橋氏は「未来が約束されていると感じても、最終的な意思決定は選手本人に委ねるべきです」との考えを持ち、北口の意思を尊重してきました。

ルーツはバトミントンと水泳

小学生の頃から始めたバドミントンでは、強い肩を活か

して積極的にスマッシュを打ち込むプレースタイルで活躍し、小学6年生で全国大会に出場しました。その際、パリ五輪の女子シングルスで5位となった山口茜選手(27)と対戦した経験もあります。

当時の指導者である川合修さん(80)は、「負けると体育館の床に座り込んで、周りを気にせず涙を流していた」と彼女の悔しがる姿を振り返ります。

また、彼女は地元のスクールで水泳も続けており、中学時代にはこちらも全国大会に出場しました。

そんな彼女にやり投げを勧めたのは、進学した旭川東高校の陸上部顧問であった松橋昌巳さん(69)でした。恵まれた体格に柔軟な肩、加えて明るく純真な性格を持っており、松橋さんは「世界に通じる素質がある」と感じていたそうです。その予感は的中し、高校3年生で世界ユース選手権で金メダルを獲得するまでに成長しました。

「自由な気風が合う」として、当時の陸上部監督だった小山裕三さんの誘いを受けて日本大学に進学しました。大学でも水泳とバドミントンは続けたといいます。

彼女はコーチが提案するトレーニングについても、自分に合わないと感じた場合ははっきりと「合わない」と伝えるほど自己主張があり、試合で勝っても「もっと上がいる」と向上心を見せ続けました。小山さんは「彼女は常に世界を見据えていた」と語ります。

筋力や跳躍力の課題がありましたが、2019年にフィンランドで出会ったチェコのセケラクコーチの指導を受けて克服しました。今も水泳を続け、オリンピックメダリストの松田丈志さんにアドバイスを仰ぎ、フォームを改良する姿勢を見せています。

向上心と自由な精神。その集大成が、彼女の描く放物線に表れています。

 

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