瀬戸内寂聴さん死去 99歳「愛に始まり 愛に終わる」寂聴さんの生い立ち〜

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作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん死去(99歳)

恋愛や歴史、老いなどをテーマに数々の小説を発表された寂聴さん、時に、法話を通じて多くの人に

生き方を解いてきました。

今月9日、心不全のため京都市内の病院で亡くなりました。(2021年11月9日)

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瀬戸内寂聴プロフィール

名前:瀬戸内寂聴(せとうち じゃくちょう)

俗名:晴美

生年月日:1922年5月15日

出身地:徳島県徳島市

死去:2021年11月9日

職業:小説家

デビュ作:『痛い靴』(1956年)

代表作:『花芯』(1958年)

:夏の終わり』(1962年)

:かの子繚乱』(1962-1964年)

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瀬戸内寂聴さんってどんな人

寂聴さんは、徳島県出身の方で、大学を卒業後に本格的に小説の執筆を始められました。

1957年に「女子大生・曲愛玲」で文芸雑誌の賞を受賞され、文壇デビューを飾りました。

 

そんな寂聴さんですが、世間をアッと驚かすことに・・・・

1963年に、寂聴さん自身の波瀾万丈の恋愛経験を綴った私小説「夏の終わり」を発表され!話題になりました。

女流文学賞を受賞するなど、恋愛小説や伝記小説を次々と発表しました。

経済的にも精神的にも自立する、新たな女性の生き方をイキイキと描き続け、多くの女性読者から圧倒的な

支持をを受け、瀬戸内寂聴を不動の小説家に位置付けた作品となった。

瀬戸内寂聴の生い立ち〜

若い頃の寂聴さんは、恋多き女性として、くずと称されることもあったようですね!

破天荒な人生を送ってこられたようだ。

 

戦前戦後の混沌とした時代に己の欲望のままに、生きてきたであろう寂聴さん

何が起きていたのでしょうか?

 

寂聴さんは小さい頃は身体が弱かったようです、その反面本を読むのが好きだったと

いいます。

本好きが転じて、1956年に「痛い靴」を発表し新潮同人雑誌賞を受賞されました。

しかしその後発表した作品にたいしてはポルノ小説だと批判され、「子宮作家」などと

レッテルを貼られたこともありました。

当時を振り返って寂聴さんは「とにかく耐えて、耐えて、心の中で批判する人に対して

みんな死んでしまえ」と思っていたという。

 

寂聴さんは修道女を志していたようですが、娘を捨てて男と駆け落ちしたといいうことが

教会から拒否されたり、多くの寺院からも拒否されてしまうのでした。

<寂聴さんの名言〉

不完全な自分 恋は革命 世の中を変えるのは若者 10代が一番楽しい

いっぱい経験して挫折して這い上がってこい 人の価値観は変わる

いつまでもかわいい寂聴さん 人に迷惑をかけずに生きてきた人はいない

いいことも悪いことも長く続かない・・・・

「恋愛は天災のようなもので避けられない。不倫が許される
たった一つの条件は『命懸け』であること。」
という事だそうですが…

寂聴さんからの気になるメッセージを書き留めてみました。

 

生まれ変わっても小説家・・

 

仕事をしながら死ぬのが理想!

たとrば、こうやって「ペンを持って朝まで仕事、うとうとしながらガクッとなり、朝まで仕事。

秘書たちがが朝書斎に入ってきて私が死んでいた! それが私の理想の死にかたなの。

そしてまた「いつか生まれてきたら、やっぱり小説家になって、売れないところから始めたい」・・・

これが寂聴さんの理想のようです!

まとめ

「愛に始まり 愛に終わる」人生に終止符を打たれた瀬戸内寂聴さん。

寂聴さんの生き方に賛否分かれるところですが、あなたはどう思われますか?

寂聴さんに命を助けられ、人生をやり直された人も多くいらっしゃることでしょう。

「もっともっと長生きしていただきたかった」と思います。

今回はここまでになります、最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

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