今回は、(MLB)ロサンゼルス・エンゼルスで活躍中の大谷翔平選手についての報告です。
野球ファンでなくても、大谷選手を応援したくなるという、彼の魅力ってなんなんでしょう?
彼が生まれ育った岩手県奥州市ってどんなところなのか、気になって調べてみました?
他にも、高校時代の寮生活が彼の人生を変えたのか?
出会った、恩師の教えや、指導方法にも何か秘密がありそうです。
今回も最後まで、お付き合いいただければ嬉しいです。
大谷?翔平プロフィール
名前:大谷翔平(おおたに しょうへい)
出身地:岩手県水沢市(現・奧州市)
生年月日:1994年7月5日(28歳)
出身高校:岩手県花巻東高校
身長/体重:193cm/95.3g
職業:プロ野球選手(投手・外野手)右投左打
2012年:NPBドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから1位指名
2013年:北海道日本ハムファイターズに入団
2017年:ポスティングシステムでメジャーリーグベースボール(MLB)のロサンゼルス・エンゼルスに移籍
2018年:投打にわたり活躍し、日本人史上4人目の新人王を受賞
2021年:日本人史上2人目(アジア人でも史上2人目)のシーズンMVPとシルバースラッガー賞を受賞
2021年9月:『タイム』アメリカ合衆国のニュース雑誌で「世界で最も影響力のある100人」に選出!
2021年12月:AP通信の年間最優秀男性アスリート賞を受賞。
2022年8月9日:ベーブルース以来約10年ぶりとなる、二桁勝利・二桁本塁打を達成!
2023年:ワールド・ベースボール・クラシックで史上初、2部門(投手・指名打者MVPを受賞
大谷翔平選手が生まれ育った奥州市とは?
(MLB)のロサンゼルス・エンゼルスで大活躍の大谷翔平選手の故郷といえば、岩手県の奥州市(旧 水沢市)です。
奥州市とはどんな所なんでしょうか?
今や世界中の野球ファンのみならす、様々な年齢層の男女問わず、大谷選手を知らない人がいないくらいの
選手になりました。
誰からも愛される人柄や性格、行動など、壮大な自然に囲まれた奥州市と何か関係しているのかもしれませんね!
実は、奥州市は2006年に小沢市・江刺市・胆沢群前沢町・胆沢町・衣川村が合併してできた、岩手県第二
の人口を雍する市となっています。
野球好きの大谷少年がこの地でどんな夢を抱いていたのでしょうか?
今の自分の活躍を想像できていたのでしょうか?
奥州市のパワースポットの一つに「駒形神社」があって安産祈願、産業開発、交通安全、交通安全、必勝祈願、
方位除け、家内安全などで参拝に訪れる方が多いようです。
境内には樹齢210年の榎も地元では話題のパワースポットだそうです!
大谷翔平家族構成
大谷翔平は元社会人野球選手の父(大谷徹)とバトミントン選手の母(加代子)さんの元次男として誕生。
兄(大谷龍太)はトヨタ自動車東日本硬式野球部所属。
さらにお姉さんが一人いて、3人兄妹の5人家族です。
大谷翔平の名前の由来
奥州平泉にゆかりがある源義経の八艘飛び(はっそうとび)を参考に「翔」と平泉の「平」から「翔平」と
父(徹)さんが命名しました。
翔平少年はバタミントンと水泳を習っていたことで基礎力を養い、後に始める野球にも大いに繋がったようです!
翔平少年は小学校3年の時に水沢リトルリーグで野球を始めます。
当時、大谷の球を受けた捕手は恐怖を感じるほど球が速かったと語っています!
小学校5年生のときの球速が110km/hを記録(岩手県営野球場)、また1試合で6回17奪三振の成績を残した
こともある。
中学校時代は一関リトルシニアに所属し、全国大会も出場しています。
大谷少年が当時憧れた野球選手は、打者では”松井秀喜”、投手では”ダルビッシュ有”だったそうです!
花巻東高校時代の大谷翔平
大谷翔平が中学3年の時に選抜大会決勝に進出した花巻東高校、当時のエース菊池雄星に憧れ、花巻東高校に
進学した。
投手菊池雄星を超えることを目標に掲げ野球に専念!
大谷翔平にとって菊池雄星は特別な存在だったようですね!
高校時代寮生活だった大谷翔平、後に「自身が大きく変わるきっかけになった」と振り返っています。
普段の生活に制限や規律があって、何が正しいのかを考えて行動することの大切さを学んだと言います。
親以外の指導者から教わることの経験
当時の監督、佐々木洋の教えの中に、(先入観を捨てることで、不可能が可能になる)とある。
つまり「先入観は可能を不可能にする」という、もしこの言葉がなかったら、今の大谷翔平の「二刀流」は
なかったかもしれない!
入部後は、佐々木監督の指導のもと「まだ骨が成長段階にある1年の夏までは野手として野球に取り組み、
ゆっくり生長の段階を昇らせる」という方針により、1年生の春は「4番・右翼手」で公式戦に出場した。
秋からはエースを務め、最速147km/hを記録した。
2年春には最速151km/hを記録し、「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれ注目を集めた。
93回全国高等学校野球選手権大会初戦、帝京高校戦では骨端線損傷により右翼手として
先発出場、4回途中から登板し、150km/hを記録!(高校2年生最速タイ記録)その後は、
治療に専念し、試合には打者限定で出場しました。
3年生の夏、2012年度の全国高等学校野球選手権岩手県大会の準決勝、一関学院高校戦で
はアマチュア野球史上初となる160km/hを記録した。
この試合は、7回を3安打1失点13奪三振の快投でコールド勝ち。
決勝の盛岡大学附属高校戦では、15奪三振と力投するも、高校最後の全国選手権大会出場はならなかった。
【大谷翔平選手の甲子園通算成績】
投手としては、14回を投げ防御率3.77、16奪三振。
野手としては、2試合で打率.333、1本塁打
まとめ
今回の報告は、いかがでしたでしょうか、大谷翔平選手の今があるのがなんとなく理解できますね!
「先入観を捨てることで、不可能が、可能になる」ってすごいことですよね!もちろん全てがその通りに
行くとは思いませんが、『なるほど』って思いますな!勉強になります!
今回は、ここまでになります、最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
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