今回は、伊勢ヶ濱部屋所属の尊富士が110年ぶり新入幕”優勝”を決めた!史上最速の快挙となった。
14日目に何が起きたのか!
14日目朝乃山(元大関)に寄り切られて黒星。土壌下に押し出された時に右足靱帯を痛め、救急車で病院へ!
千秋楽の出場が危ぶまれた!
病院から戻った尊富士は一人で歩ける状態ではなかった、千秋楽の出場は無理ですと(伊勢ヶ濱・親方)に
報告!
親方も尊富士の状態を見て千秋楽休場を了承した。
その後、横綱・照ノ富士が尊富士の部屋に行き「負けてもいいんだよ!」
「記録より、記憶に残る力士になるんだろ」
「お前なら出来る」と言われ、歩けなかった足が、歩けるようになったという
再度親方に「千秋楽に出させてください」と自ら報告!出場を決めた。
*後のインタビューで、伊勢ヶ濱親方は「あの状況で出場は止められんでしょ、止めたら一生後悔するでしょ」
と打ち明けた。
15日目の相手は平幕の濠ノ山との対戦、足首にはテーピングを巻き、痛み止めの注射を打って土俵に上がった
尊富士は、寄り切りで豪ノ山を下し13勝2敗の成績で優勝を決めた。相撲の神様も味方につけた尊富士は110年
ぶりの新入幕で幕内優勝を決めた!
尊富士プロフィール
しこ名:尊富士弥輝也(たけるふじ みきや)
所属部屋:伊勢ヶ濱
本名:石岡弥輝也(いしおか みきや)
出身地:青森県
生年月日:1999年4月9日(24歳)
身長:184cm
体重:143kg
得意技:突き・推し
初土俵:令和4年(2022)9月場所
新十両:令和6年(2024)1月場所
新入幕:令和6年(2024)3月
最高位:前頭十七枚目
好きな食べ物:馬肉、桃
趣味:匂いの良いボディフューザーを探すこと。
尊富士小・中学生時代
尊富士のおじいさんが草相撲が大好きだったこともあって、保育園の頃から相撲を始めた尊富士。
保育園児の頃は、稽古後のコンビニで買ってもらっていた唐揚げが楽しみで、相撲の稽古に行っていた尊富士?
わんぱく相撲全国大会では、小学4年生の時に個人ベスト8と団体優勝、小学5年生の時には個人3位になるなど
わんぱく相撲でも実力を発揮し始める。
中学生になった尊富士は、つがる相撲クラブ(現在・つがる旭富士ジュニアクラブ)に通うため、地元を離れて
つがる私立木造中学校に進学し、相撲にうち込める環境へと移っていく。
中学時代の成績は全国都道府県中学生大会で個人3位、白鵬杯団体で優勝・個人では3位の実績を残した。
「五所川原市は豪雪地帯で寒い、そんな中、学校から道場まで30分歩き、寒さで凍った廻しを締めてそれを
1000回のスクワットで解凍した」と言うエピソードがある。
尊富士高校時代
中学卒業後は鳥取城北高等学校に進学。
高校1年の金沢大会で個人8強の実績を残すが、高校2年の金沢大会で左膝前十字靱帯を断裂した。
高校3年の全国高校総体では個人3位、選抜高校相撲宇佐大会で個人3位となった。、
秋の国体個人戦で準決勝で納谷幸之介(大鵬の孫)に敗れた。その時に再び左膝を負傷し、3位決定戦は
不戦敗となった。
尊富士大学時代
高校卒業後は日本大学法学部政治経済学科に進学。
日本大学相撲部に入部。大学2年の時に全日本大学選抜金沢大会で準優勝。
全国学生体重別大会135キロ未満級で準優勝、団体戦で優勝を収める。ところが団体決勝戦で今度は右膝を
負傷した。
その後は、3年の時に全国学生選手権団体戦優勝。
4年の時に全国学生相撲個人体重別選手権大会無差別級では16強となった。
2022年春に日本大学を卒業した尊富士は高校大学での個人優勝を果たすことができなかった。
尊富士伊勢ヶ濱部屋入門
9代目伊勢ヶ濱(元横綱・旭富士)部屋に入門。
入門を決めた理由
2022年8月16日に石岡は記者会見を開き、大相撲の伊勢ヶ濱部屋に入門することを発表した。
伊勢ヶ濱部屋の師匠と言えば(元横綱・旭富士)で、9代目伊勢ヶ濱となる。青森県出身の親方は毎年同県内で
合宿を行っている。
石岡(尊富士)は中学生時代から部屋との交流があり、横綱照ノ富士は部屋所属で高校の同窓生でもあり、中学生
の頃から目をかけられていた。
照ノ富士は膝の怪我などで大関から一時は序二段まで番付を落としてから横綱まで上り詰めた経歴を持つことも
、石岡にとって入門を後押しした関取の一人だ。
尊富士初土俵
2022年9月場所で前相撲から初土俵。同期生には輝鵬(幕下15枚目格付出)らがいる。
なお、新弟子検査受検時点で23歳であったため、入門に当たっては年齢制限緩和措置が適用された。
*【中学卒業から23歳未満(新弟子検査日)まで。 但,スポーツ経験者は25歳未満まで。】
初めて番付に名前が載った2022年11月場所は、6番相撲で幕内経験者の旭大星を破るなど7戦全勝で序の口優勝。
続く2023年1月初場所も7戦全勝で序二段優勝を果たした。三段目に上がった3月場所は4番相撲で東俊隆に敗れ初
土俵からの連勝が17で止まったが、6勝1敗として5月場所では新幕下となった。
尊富士新十両昇進
2023年九州場所は、勝ち越せばほぼ関取昇進となる西幕下筆頭まで地位を上げた尊富士は、九州場所を6勝1敗の
成績で終え、2024年初場所で新十両昇進を決めた。
同年1月春場所は初日から絶好調で白星を重ね、中日で勝ち越しを決めた。新入幕力士が1場所15日制となった
1949年以降75年ぶり史上8人目となる!
14日目の対戦相手、千代栄戦を押し出し、12勝目を挙げ千秋楽を待たず十両優勝を決めてしまった!
3月春場所で新入幕となり初土俵から所要9場所での新入幕は、年6場所制となった1958年以降の初土俵(幕下
付け出しを除く)としては66年ぶり常幸龍と並ぶ史上最速のスピード出世となり、新十両から1場所で通過し
たのは史上7人目となた。
1月初場所で部屋の横綱・照ノ富士が幕内優勝を達成し、十両優勝した尊富士がパレードの旗手を務めたことが
印象的なシーンとして残っていますね。
「自分でもいつかこの舞台で、最高の景色を見てみたいという思いになりました」と幕内優勝を強く願い目指して
いる胸の内を明かしてくれた!
3月場所では中日勝ち越しを決めた、新入幕力士の中日勝ち越しは2011年5月技量審査場所の魁聖以来で、
中日の時点で新入幕力士が優勝争い単独首位は15日制定着となった1949年5月場所以降初だそうだ。
また、11日目には大関・琴ノ若を寄り切りで破り元横綱・大鵬以来64年振りである新入幕力士としての初日から
の11連勝を果たした。12日目の大関・豊昇龍戦で敗れ初日からの連勝はタイ記録の11でストップしたが、12日目
終了時点で11勝1敗と依然として優勝争い単独トップをキープ。
13日目若元春を寄り切りで勝利し12勝1敗。
14日目朝乃山(元大関)に寄り切られて黒星。土壌下に押し出された時に右足靱帯を痛め、救急車で病院へ!
千秋楽の出場が危ぶまれた!
病院から戻った尊富士は一人で歩ける状態ではなかった、千秋楽の出場は無理ですと(伊勢ヶ濱・親方)に報告!
親方も尊富士の状態を見て千秋楽休場を了承した。
その後、横綱・照ノ富士が尊富士の部屋に行き「負けてもいいんだよ!記録より、記憶に残る力士になるんだろ」
と言われ、再度親方に「千秋楽に出させてください」と自ら報告!出場を決めた。
15日目の相手は平幕の濠ノ山との対戦、足首にはテーピングを巻き込んで、痛み止めの注射を打って土俵に上がっ
た尊富士は、寄り切りで豪ノ山を下し13勝2敗の成績で優勝を決めた。相撲の神様も味方につけた尊富士だった!
新入幕の力士が優勝するのは110年ぶりの快挙となり、記録にも記憶に残る力士の一人に刻まれた!
まとめ
今回は、青森出身の力士・尊富士が子供の頃から親しんできた相撲を通して、伊勢ヶ濱部屋
入門した経緯や幕内優勝までの軌跡を追ってみました。参考になれば幸いです。
今回も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
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